活動メンバー

「倉原 宗孝-龍馬塾塾頭-」岩手県立大学教授

「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ ・・・」 ご存じ、アンパンマンの主題歌です。とても大事なまたとても良い歌詞だと思います。なんのために生まれて、なにをして生きるのか、僕自身が見つめる課題であり、みんなが龍馬塾でも一人ひとりが問いかけ獲得していきたいものです。
 この世に不二の一人ひとりの大切な命、その命と生の意味と意義を実践していく、そんな新しい社会・地域・暮らしづくりを考えています。
 かつてコペルニクスらは、当時の天動説に対して、地球も太陽を中心に回る惑星の一つとする地動説を唱えました。コペルニクス的転回です。ここで今、私たちのまちづくりでは第二のコペルニクス的転回を掲げたい。私たち一人ひとりの命と生が、暮らしのなかで輝きを持って中心にある、そんなまちづくりです。ガリレオは宗教裁判で「それでも地球はまわっている」と言って地動説の主張を譲らなかったようですが、彼にならうなら現代社会において「それでも私がここにいる」(=私はここにしっかりと生きている)ことを自覚できる、そんな暮らしや生き方を一人ひとりが出来たらと思います。
 それは決して自己中心的な生き方ではありません。私たちはみな、様々な人々や環境との関係の中に生きています。他者や環境との「関係」の中に「私らしさ」もあるのです。私にとって良いことが、まわりのみんなにとっても良いことになる、そんな地域や暮らしの形があるはずです。人は一人ひとり体の状態も考え方も様々です。そうした一人ひとりが輝き、全体としても豊かになる、そんな社会を拓きたい。
 難しいかも知れませんが、それは出来ることです。そのための一つとして心得たいのは目的と手段を混同しないこと。夢や理想を実現するための手段が最終的な目的になってしまってはいけません。だから冒頭記した「なんのために生きるのか」をしっかりと問う必要があるのです。それともう一つ、なにをしたかが大事なのではなくて、「なにをしようとしたか」が大事なのです。小さな成果主義の思考に抗い、おのれは何をしようとしているのか、なんのために生きるのか、そのことを問いかけ行動していきたいと思います。
 ・・・なーんて書いちゃいましたが、僕自身の課題でもあるのです。難しいけど、楽しいと思います。一緒に問いかけていきましょう。

「谷 幸子」基町『三味線道場』代表

みんなが龍馬塾の立ち上げ期、最初にフリーで入ってきて、以来ここの中心的なパフォーマーとして大活躍の女性である。「民謡藤本流」の師範として基町に教室を持っており、三味線、太鼓、ドジョウすくい(安来節)、フラ、チンドン楽団演奏への参加など、その芸域は幅広い。
また英語にも明るく、御歳七十云歳にて携帯メールも自在に操るなど、能力の底を感じさせない御人である。
ご主人が中学校教員だったからか、教育界や教育問題にも明るい。ちなみに、広島市内や県内各地で活躍しているチンドン楽団は、中学校教員の方々と結成しているものだそうです。

「谷口 祐司」学校法人こいみどり学園理事・特別支援コーディネーター

「子どもたちから高齢者の方々までが時間と空間を共有する場を提供する」

幼稚園で勤務する中でこのことが非常に重要であり、今の社会に欠落している点であると痛感。子どもたちだけでなく、高齢者に指摘されるさまざまな問題が解決できると考えている。

龍馬塾は、これが実現、提供できる数少ない場であり、この点に強く賛同し、活動に参加。

龍馬塾に携わる方々に日々刺激を受け、楽しく通っている次第。

 

「橘 宜孝」まちづくりプランナー・コーディネーター

 みんなが龍馬塾では「航海士長」役を担っている。潮と風を読みながら目的地への航海プランを提案し、その実施をマネージメントする役割である。
 高齢者福祉、子育て・教育、社会的起業等々、これまで向き合ってきたテーマ・現場で、常に「発見⇒発想⇒しかけ・行動⇒出会い・感動・学び⇒人々の心に灯る小さな奇跡」の連鎖・スパイラルの風を呼び起こしてきた能力には自信を持っている。その自信を支える柱のひとつは哲学力である。「人間の幸せとは」、「人間が生まれ生きる意味とは」、「カルマの役割とカルマとの決別とは」を追求しつづけている。
 もうひとつの柱が、人の心理(不安、喜び、感動)を見抜き、その背景や環境を理解できる観察力である。エリザベス・キューブラー・ロス博士の「悲嘆の体験は子供の時期、それも早い方が良い」という言葉や、武田鉄矢唄の「人は悲しみが多いほど人には優しくできる」という言葉が非常に重要であることを実感している。